44を見ると、私は少し黙る。
考え事が、ふっと止まる。
心配や、小さな否定や、そういうものが一旦引いて、ただ「よし」という感覚だけが残る。
最近も、44をよく見ていた。
ずっと引っかかっていたことがある。
年末に買った小さなものが、見つからない。
最初は、どこかにあるだろうと思っていた。
でも探しても見つからない。
一度や二度ではなく、何度も探していたのだ。
そのうち「そもそも買っていないのかも」と思い始めた。
数ヶ月の間、ときどき思い出しては落ち込んだ。
なくしたのか、はじめからなかったのか、それすら確かめないまま。
ちょうど今日、IKEAからメールが届いた。
その流れで購入履歴を開いた。
ちゃんと、買っていた。
しかも二つ。
その瞬間、「ある」ことが確定した。
そして同時に、「もし梱包材などと一緒に捨ててしまっていたら?」という気持ちが一気に立ち上がった。
それで、探す気になった。
最初に思い浮かんだ場所を、もう一度見る。
以前も見た場所だった。
…そこにあった。
茶色い紙に包まれたまま。
探していたのは、小さな赤い靴べらだ。
私はずっと、"赤いもの"を探していた。
だから、そこにあっても見えていなかったのだろう。
今日、探し始めてはっきりしたのは、「あの赤いものを見ていない」という記憶。
だから、間違えて捨てたかもしれないと思ったときは、非常に悲しかった。
届いたときに中身を確認するまでもなかったから。
手に取った瞬間にそれだとわかったから。
包まれたまましまっていた。
好きという気持ちが、そうさせていた。
この靴べら、もうだいぶ前から玄関に一つ置いてある。
予備として買うくらい気に入っている。
なくしたら困るから。
安いから、さらに二つ買ったのだ。
靴によっては、これがないと履けないものがある。
"あったほうがいい"ではなく、"ないと無理"なやつ。
以前、清里のコテージに行ったとき、これを持っていった。
でもそこには靴べらが用意されていて、二日目からはそちらを使った。
持っていったものは、使われないまま鞄に戻った。
それでも、持っているというだけで嬉しかった。
私は赤い物が好きだから。
44を見ると、「よし」となる。
今日も、特別なことは何もしていない。
ただ、どこかで流れができて、動いただけだった。
見つけた時も大騒ぎしなかった。
ただ嬉しくて、お湯を沸かした。
コーヒーを淹れたくなったから。
そして、数ヶ月分の「どこにあるんだろう」が、終わった。